神なる存在の息吹
ふと突然に、閃(ひらめ)きを得るような瞬間。
一瞬のうちに、これまでに自分には考えもつかなかったようなアイディアが、ぽんと浮かぶこと。
日常の中で意識をしていなくても、もしも振り返っていただけましたら、これまでの人生において、あなたがそのような体験を持ったことは、きっと一度や二度ではないはずです。
例えば、絵を描いていたり、執筆をしているときに、あなたの腕や手を超えた何かに導かれるように、イメージや言葉が降りてくるようなこと。
何かの管理や先導をしなくてはいけないときに、ふと、あなたがこれまで思いつかなかったような効率的なアイディアや方法が浮かぶようなこと。
あるいは、料理をしているときに、この調味料を隠し味に入れようということから、ずっと連絡をしていなかったあの人に電話をしようということ。
どこからともなくやってくるインスピレーション。
大きなひらめきから、ほんの小さなものまで、それがどのような内容であれ、すべてのインスピレーションの体験の訪れには共通点があります。
それは、”自己の感覚のなさ” です。
インスピレーションとは、わたしたちが、自分のエゴやコントロールを手放したとき、わたしたちの日々せわしなく動くマインドの邪魔をかいくぐり、神なる存在の息吹を受け取ることのできるわずかな空間が作られたときに、わたしたちに届くことのできるエネルギーなのです。
インスピレーションは、わたしたちが謙虚さと共に、ただハートの中に在るとき、わたしたちが、自己を超えた大いなる存在へと、自分の人生を明け渡すことのできたほんの一瞬の隙間に訪れます。
それは正確には、神なる存在が、あなたのスピリットに息を吹きかけていることにあなたが気づいた瞬間です。
インスピレーション(Inspiration)とは、あなたの本質そのものであるスピリット(Spirit)に、生命が宿される体験です。
インスピレーションとは、ときたま気まぐれに訪れて、一時的にあなたを鼓舞するものではなく、本来は、湧き出る泉のように、絶え間なくあなたの人生にいきわたり続けられうるのものです。
これまでに、あなたがインスピレーションを受け取ったときのことをもう一度思い出していただくと、それはきっと、あなたがインスピレーションを受け取ろうと躍起になっていたり、必死に何かを考えだそうとしていたときではないはずです。
むしろあなたが気分よくくつろいでいて、何かへの執着や過度な期待、怒りのような感情を持たずに、愛や喜びと共に、あなたのハートを緩めているようなとき、あなたが、受容的で、あなたの中に何かを受け取るスペースが作られているときではないでしょうか。
インスピレーションは、「委ね」と「明け渡し」のあるところに訪れます。
より大きなものを受け取るためには、わたしたちは小さなものを捨てていく必要があります。
ハートは、マインドよりも大きなものです。
明け渡しは、執着よりも大きなものです。
神の意志は、わたしたち個人の意志よりも大きなものです。
意識的な道において、わたしたちが自分に問いかけるべき適切な質問は、「いつインスピレーションを受け取れるか」、「どうやったらインスピレーションを受け取れるか」ではなく、「わたしにはその準備ができているか」というものにつきます。
インスピレーションは、あなたの頭上に、あなたのからだの周りに、あなたの足元に、常に漂って、あなたに受け取られることを待っています。
わたしの考え、わたしの持ち物、わたしの過去・・・
“わたし”と名の付くあらゆる執着から自由であることができるかどうか、自分の知りうるよりもはるかに大きな何かへの畏敬の念と共に、”わたし”の人生を委ねることができるかどうか。
あなたの人生がインスピレーションに導かれながら織りなされていくことを目撃することを選び、委ねと明け渡しの道を進む中で、 “わたし”を手放していくか、それとも、あなた自身の限られた力と思考の中で懸命に人生を構築していくことを選び、”わたし”という感覚を強めていく人生を選ぶかは、完全にあなたの手の中に委ねられています。
インスピレーションを受け取る土壌を整えておくための3つのヒント
1.受容性を持つ
インスピレーションは、神なる存在の秩序のもと、完璧なタイミングでやってきます。
それは、身を乗り出して、懸命に捕えに行くようなものではなく、わたしたちが、受容的になり、「待つ」ことを学ぶほどに訪れるようになります。
くつろぎや受容性を広げていくためには、マインドをあまりに忙しく動かしているようなことや、あるいは、神聖なる存在への信頼の欠如により、過度に物事や人生をコントロールしてしまうようなことから自由になっていくことが役に立ちます。
受容性をもって、ハートの中に自分自身を招き入れること。それが1つ目の鍵です。
2.”今ここ” に常にとどまる
スピリットとは、”今ここ”に息づくエネルギーです。
わたしたちのスピリットが、破片となって、過去や未来のあちこちに散らばっている状態は、インスピレーションを受け取るための受け皿が、かけてしまっているような姿に似ています。
わたしたちが、過去に体験したことへの怒りや悲しみにしがみついていたり、あるいは、ショックな体験やトラウマの中に自分の一部が閉じ込められたままでいるときには、わたしたちの光の多くが、過去に向けて漏えいしているために、”今ここ” において放つことのできる光が限られてしまうのです。
常に、新しい瞬間に自分自身を連れ戻し、とどまること。それが、2つ目の鍵です。
3.謙虚さと調和に回帰する
もしも、わたしたちが、心のどこかで、自分自身を、神と同等に全能の力を持っていると思い込んでしまったり、人生が自分の思い道理に運ぶべきだと横柄になってしまったら、インスピレーションは、わたしたちの頭上に流れ込むことは難しいはずです。
自分は、神なる存在なくしては何者でもないということ、自分は、神なる存在の奏でる楽器なのだということへの想起とともに、常に、謙虚であることがきて、神なる存在との関係性の間に適切さと調和を持つことができるとき、わたしたちは、インスピレーションを受け取ることのできるポイントに立っています。
3つ目の鍵は、エゴを消し去っていき、謙虚にあることです。
人生にインスピレーションを招きいれることへの隠れた恐れ
わたしたちの多くが、実は、インスピレーションを受け取ることを恐れていると言ったら、あなたは驚かれるかもしれません。「閃きが得られて、それによって何かがうまくいくなら、どうして、インスピレーションを受け取ることを恐れることなどあるだろう」と。
インスピレーション、それは、ガイダンス(導き)やコーリング(呼びかけ)と置き換えてもいいかもしれません。
それらは、実は、必ずしも、ここまでに例としてお伝えさせていただきました、壮大な絵を描けることや、料理をおいしく仕上げられるようなことだけではないのです。
あなたが、真の委ねと明け渡しへと開いていくとき、あなたが受け取り始めていくインスピレーションの多くは、実は、あなたを怖がらせるようなものを含みます。
なぜなら、神なる存在を信頼し、自分の手による人生へのコントロールを手放していくとき、神なる存在は、あなたのその選択に、間違いなく応えるからです。
あなたが受け取るガイダンスの中には、あなたがずっと関わっていた仕事を去るときがきているというメッセージが含まれているかもしれません。あるいは、あなたが心のどこかで、いい関係性ではないと知っていながらも、断ち切ることができずにいた特定の人たちとの関係性を、いよいよ手放すことへと呼びかけられるかもしれません。
インスピレーションを受け取ることに自分を開くとは、自分が聞きたいような居心地の良いことを聞けることでも、より簡単な道を示されることを待つことでもなく、それがどれだけ怖いように感じられることであっても、自分の理解の範疇を超えていることであっても、その声を受け止め、そして実際にアクションを取ることへと、自分自身を投げ入れることを伴うのです。だからこそ、わたしたちは、インスピレーションに触れることを恐れます。
“スピリチュアル系” とくくられていることにどれだけ興味を持っていたとしても、真のスピリチュアルな道を歩くことを選べる人はほんのわずかです。
もしもあなたが、後者であるとしたら、この人生の中で、目に見えている世界への縛りから自分を解き放ち、より広大なリアリティーを生きることを望んでいるとしたら、未知の中に飛び込むことを恐れる気持ちよりも、神なる存在への信頼と共に自分の人生を明け渡していくことへの切望の方が勝っているとしたら、委ねと明け渡しこそが、あなたを支える杖となるでしょう。