こんにちは。
セイクレッドテンプルの今村えりです。
「宿命」と「運命」
これらは、似て異なるものです。
それでは、「宿命」と「運命」の違いとは何でしょう。
「宿命」とは、変えることのできない何かです。
それは、避けることのできない何かです。
“与えられたパッケージ” という風に言ってもよいかもしれません。
例えば、どの国や時代、どのような両親や家族のもとに生まれるかということでしたり、もともと持って生まれた身体的な特徴など、わたしたちには、選ぶことのでいないことがたくさんありますよね。
特に、わたしたちが小さな子どもの頃には、自分自身ではどうしようもできないことはあまりに多くあります。
例えば、両親が離別を選ぶとき、小さな子どもにどれだけの選択肢があるでしょう。
あるいは、家族や友人たちはそこにいるのだけど、なぜか自分はその誰にも属しておらず、独りぼっちであるという感覚の中で成長を重ねることもあるかもしれません。
このように、わたしたちのコントロールの及ばない体験や状況、これが「宿命」です。
けれど、「宿命」とは、必ずしも、”負の定め” のような、痛みや制限を伴うものとは限りません。
「宿命」と呼ばれる、わたしたちに “与えられるパッケージ” の中には、わたしたちが先天的に持っている特徴や、わたしたちの中に携えられているギフトも含まれているのです。
例えば、あなたが本当に小さな頃から、自然にできてしまっていたようなことを思い出すことはできますか。
あなたには、お友達や家族の人たちをわくわくさせ、惹きつけてやまない魅力があったり、物語を話すギフトがあったかもしれません。
あなたにとって、自然や動物の声を聴くことは、人の声を聴くことよりも、当たり前のことだったかもしれません。
もしかすると、あなたは、どのグループやチームに入ろうと、まとめ役となり、その場を収めるポジションを得るということがいつも起こっていたかもしれません。
あるいは、あなたの家族や近所の人たちの中に、あなたが将来、特定の技能を発揮することを促す、「教師」の役割をもった人たちがいて、あなたがその技能を存分に磨き上げるための、この上ないバックアップが常にそこにある環境が整っていたかもしれません。
このように、わたしたちが自分自身の人生をジャッジをせずに振り返ると、”そうであった” としか言えないような体験の中には、自分にとって傷となったようなことだけでなく、素晴らしいこともたくさん散りばめられていることにも、きっと気づくことができるはずです。
さて、今度は「運命」について見ていってみましょう。
「運命」とは、「宿命」のように、最初から与えられたパッケージではありません。
” 運命を切り開く” という表現があるように、「運命」とは、自分自身の人生の基盤となる「宿命」を布石に、わたしたちが、自分の意志で、ひとつひとつ重ねていく「選択」の結果として、現れるものです。
(”宿命を切り開く”とは言わないですものね。)
わたしたちが「宿命」の中を生きている間は、実は、わたしたちにとって、自分にどのような可能性があるか、自分の人生がどのように開きうるかということ(=「運命」)は霧の中にある未知のものなのです。
つまり、
◇ 与えられた条件(=宿命)をベースに、自分自身のエネルギーをどう用いるか。
◇ 自分自身のコントロール下にはなかったパッケージ(=宿命)をもとに、そこから、何を選んでいくか。
◇ ”そうでしかあれなかったこと(=宿命)” を通して、自分自身を力づけるための選択をどれだけ重ねられるか。
ということの中で、わたしたちは、自分自身の「運命」を手繰り寄せていきます。
わたしたちが日々直面する出来事に対し、何を「選択」するのかということが、霧の向こうに出たときに、どのような「運命」を目の当たりにするのかということに、大きく影響を及ぼしていきます。
わたしたちが成す「選択」の積み重ねが、「運命」を作っていくのです。
これは、とてもわくわくすることだと思いませんか?
(それとも、怖いような感じがすることでしょうか?)
運命が自分自身の選択によって決まってくるものだということを知ると、わたしたちは、
「どうやったら、正しい選択ができるのかな?」
「何を基準に、自分の選択が、よい運命に繋がるものかどうかを判断したらよいのかな?」
と、きっと思いますよね。
「この仕事を辞めることが正しい選択なのか、この職場に留まることが正しい選択なのか・・・」
「この人と一緒にいることが正しい選択なのか、この人と別れることが正しい選択なのか・・・」
迷い始めると、答えを出せずに堂々巡りをしてしまいそうな選択は、人生において、たくさんあるかもしれません。
けれど、<良い選択 / 悪い選択><正しい選択 / 間違った選択>、
<Aが正解か、Bが正解か>という見方はあまり意味をなさないようです。
わたしたちが何かを選択するとき、結果としてものをいうのは、
わたしたちが選ぶその選択が、自分自身への愛と人生への信頼に基づいているかどうか、です。
わたしたちの下す選択が、
<人生への信頼によるものか / 人生への不信によるものか>
<愛によるものか / 恐れによるものか>
<必要なものはあるという充足感によるものか / 必要なものがないという欠乏間によるものか>
という、モチベーションやエネルギーに応じた運命が、霧の先に待っているようです。
「宿命」が人生におけるスタート地点近くにあり、「運命」がゴール地点の方にあるもの、という風にイメージをしてもよいかもしれません。
そして、「選択」とは、「宿命」と「運命」の間の橋渡しです。
「運命」とは、わたしたちの「選択」によって、その方向性を大きく変えていくものなのです。
人生という旅において、わたしたちは、自分がどこに行くのか、そのすべてを把握することは到底不可能です。
けれど、その何一つ、約束がされていない「未知」に対して、どれだけ信頼を持つことができるか、どれだけ自分自身を力づけ奮い立たせていくための「選択」を重ねることができるかということが、わたしたちが、「宿命」の中に囚われて生きているときには、決して想像すらすることのできなかった世界へと、わたしたちを導いていきます。
そこで体験することができるもの、それが、「運命」です。
かつて、わたしにこの理解を学ばせてくれた方が、こんな風に表現していました。
「あなたが、運命へと開いていくために、勇気をもって1歩踏み出すときに、運命の方からは、あなたに向かって、10歩、近づいてくれている。」
先に何が待っているか、わたしたちには分かりません。
けれど、勇気と信頼をもって、日々を重ねていくことで、人生は、わたしたちの選択に応じて、確実に開かれていきます。
いわゆるスピリチュアルな世界においては、わたしたちは、自分の「運命」や「使命」、自分の「最大の可能性」は何なのか、そんなことを把握することばかりに気を取られてしまう傾向があるかもしれません。
占いのように、先に起こることを知ることが、スピリチュアリティーだと、誤解をしてしまうこともあるかもしれません。
けれど、本当の意味での霊的な道のりへと軌道を戻すとき、先々のことを知ることはあまり重要でないこと、むしろ、知ることは不可能であることに気が付いていくはずです。
大切なことは、
◇ 日々の中で、自分自身を力づける選択を、小さなことからでも、重ねていくこと。
◇ 人生(あるいは神や宇宙)に対する信頼を深めていくこと。
◇ 人生を、自分のマインドの中に収めこむものにしてしまうのではなく、壮大な冒険としてとらえ、未知や神秘に対して敬意を払うこと。
なのかもしれません。
今日お受け取りいただきましたこのお話が、あなたの人生におけるインスピレーションとなりますことを願っています。
わたしたち、ひとりひとりが、自分自身を力づけていくことができますように。
自分に与えられた「宿命」を布石として、自分自身が成就しうる至上の「運命」に向かって、歩を進めていくことができますように。
愛を込めて
セイクレッドテンプル
今村えり
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