人生において、簡単なようで難しいことのひとつに、自分自身の真実を生きるということがあります。
自分が感じていることをもとに人生を選択する。自分にとっての真実を口にして表現する。

他の人がどういうからではなく、自分自身が感じている真実を尊重する。

自分の大切な人生なのだから、それをする以外、何があるのだろうと、頭では分かっていても、それは意外にも難しいものです。

けれど、実はそれ以上に難しいのは、大前提として必要な、自分自身の真実を体験するということ、自分にとって、何が真実なのかを知っていることです。

つまり、「選択をするかどうかという前に、そもそも、わたしは本当に自分にとっての真実をわかっているのだろうか?」という問いかけがそこにあるわけです。

見聞きしたことや、自分が感じていること、考えていることの中で、どれが真実であり、どれがそうでないかと、識別することができるかどうか。
このバロメーターが正確に働いてくれないこともあるのです。
それは、もしかすると、長い間、自分の叡智や心の声を無視してきたからかもしれませんし、あるいは、それはおかしいと思いつつも、子供の頃に親に言われたことを、いまだに信じている自分がいるからかもしれませんし、自分の真実を知ってしまったら、それをどうしても選ぶことになることで、今持っている人生や関係性が変わってしまうため、マインドで操作をして、真実にふたをしていることを選んでいるということもあるかもしれません。
あなたの真実は、あなたのものです。
それは、あなたのハートに宿っています。

その声を聞き分けることが自然にできるようになるまでは、ハートの声は非常に微細で、小さなものかも知れません。

けれど、あなたが、自分の真実を生きることを選択するほど、あなたは、あなたのハートがあなたに送ってくれているメッセージをあるがままに聴くことができるようになります。
あなたの真実が、あなたを脅かすことが少なくなってくるのです。

あなたのハートの中に、静かに、けれどゆるぎない真実が宿っています。

“ And this is my observation.:
That a true anger is beautiful and a false smile is ugly;
And a true hate its own beauty, just like true love- because beauty is concerned with truth.
Neither is it concerned with hate, nor with love - beauty is of the true.
Truth is beautiful in whatsoever form. “

“これが私の観察するところだ。
真の怒りは美しく、偽物のほほえみは醜い。

そして真の嫌悪には、愛と同様に、それそのものの美しさがある、なぜなら、美しさとは真実とのかかわりにおけるものだからだ。
美しさとは、憎しみとも愛とも関係がない。それがどのような現れ方であろうと真実は美しい。”
Osho
Tantra the supreme understanding(抜粋部分翻訳)

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